12.民衆に寄り添うピアニストの思い出(Memories of a pianist close to the people)

最初の項でリヒテルのことについて少しふれましたが、ここでは運よく最後の来日公演を高崎、茅ケ崎、焼津といった地方都市で聴くことができた貴重な体験をお話ししましょう。このピアニストは自分でピアノを持っていき地方の色んな場所で演奏することが生来の希望だったようで日本に来ても前述のような地方の中都市で必ずコンサートを行いました。もちろんいくら高名なピアニストではあってもチケットは音楽教室などのルートで子供たちを中心の聴衆であることは否めませんでしたし、プログラムもモーツァルト・グリーク・シューマンの小品集といった地味な内容ですからこんな大ピアニストの公演でも騒がしくなったりあきてしまったりして音楽的な雰囲気がそこなわれてしまうのではないかと心配していました。この三つのコンサートで共通していたのはシーンと静まり返った会場で彼はピアノの譜面台の脇に小さな明かりを置いて譜めくりの男性がかたわらに座り、まるで本を読んでいるみたいにそれらの小品を奏でていくのでした。会場を埋め尽くした子供たちは聞くことに専念していて、ざわつく子は全くいませんでした。こうして私の懸念は吹き飛んだのでした。そうなんです!コンサートを暗譜で弾くというのはクララ・シューマンからあとの形態で元々はピアニストでも楽譜を置いて演奏するのが普通だったんです。だって、リヒテルほどの人が楽譜を置いて演奏するということは別に暗譜がこわいとかではなかったんです。本を読みながら子供たちに童話を聞かせていくようにモーツァルトやグリークを演奏していたからこそそこに居合わせた誰もがその深い音楽の世界に浸ることが出来たんですよね。