10. 楽譜購入の思い出 (Memories of purchasing the music)

左の写真はムソルグスキーのピアノのための小品集とシューマンのソナタの一番の楽譜の表紙を開いたところです。下の方の出版社の表記を見て頂きましょう。ブライトコップフ社(ライプツィヒ)とあります。若い頃ヤマハの

楽譜売り場で見つけた廉価版です。しかし、これはれっきとした18世紀から続くベートーヴェン交響曲全集を次々に初版した「ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社の楽譜です。両方とも400円かそこらでした。

40年ほど前のお金もない若い頃でしたので楽譜を買うのは大変でした。

いつもいろいろな楽譜屋を回っては値段ばかり見ていました。

話がそれてしまいました。実は右の楽譜などはクララ・シューマンの校訂にケンプがさらなる考証を書き込んだもっとも信頼のおける版で当時の西ドイツの版では全く同じ内容の楽譜が何千円もしていました。

写真の右側に出したのはシューマンの同じブライトコップフのクララ・シューマン(ケンプ校正)版の西ドイツで発行されたものです。こちらは結構高かったのを覚えています。何千円だったかは忘れてしまいましたが、東ドイツのものと比べて何倍の値段ですよね。なぜこういうことが起きていたのかというとみなさんもご存じのベルリンの壁のせいなのです。1961年より前のとくに第2次世界大戦より前の出版物は国が分かれていても内容が同じなのでその国の為替レートが大きく作用していたのです。

ちなみにこの会社は戦後西ドイツのヴィースバーデンに本拠を移したので東ドイツの本家のライプツィヒの方は別会社となって上の写真の先ほど述べた表記の前にVEB(人民公社)という国有化された名前が付いています。1989年のベルリンの壁崩壊とともに二つの会社は再び合流して現在に至るのですが、決して廉価版なのではなく考証のきちっと行われた楽譜出版なのは間違いありません。また少し安く手に入ったやはりライプツィヒのペータース版も同じような運命をたどりました。こちらは創業者一族からナチス・ドイツが会社を取り上げてまた更に戦後は東ドイツになったために国有化され西と東に分断されてしまいました。このため楽譜の印刷は西で行われたものでも戦前の校訂の楽譜は下に大きくライプツィヒと書かれています。浜松の駅の駅前にあった楽譜屋さんにチャイコフスキーのピアノ協奏曲の2台ピアノ用の楽譜が500円の値札が付いていたので即買いました。もちろん東ドイツのものでした。このように楽譜の値段はその曲の価値とはいささかなじみにくいものなのですね。まだドイツ分裂の時代に留学していた何人かの友人はときどき東側に楽譜を買いに行っていたそうです。ドイツ人はいけなくても外国人の日本人は往来は比較的緩やかだったようです。