5. クレッシェンド(crescendo)について (About Crescendo)

左の画像はモーツァルトの初期のピアノ・ソナタと後の傑作イ短調K310の2楽章の一節です。この時代ピアノは楽器のフレームはまだそれほどガッチリはしていませんから初期の作品群にはあまりクレッシェンドは登場していません。まだその当時の主流であったフォルテ(f)とピアノ(p)の繰り返しに終始しています。その代わりlegatoにはこだわりがあったようで白線のようにちょくちょく登場しています。しかしながらピアノ自体の進化もあって右側のドラマチックな場面では赤い線で示したように繰り返しクレッシェンドを記しています。これもピアノの持つ表現力の向上にかかわり合いあることでしょうね。                                                               

P.S エピローグ (epilogue)

左にバッハの2声のインヴェンションの同じ曲の18世紀にバッハの書いた楽譜と19世紀になってベートーヴェンの弟子のツェルニーの校訂した楽譜にイタリアの19世紀後半の大ピアニストであるブゾーニ校訂によるものとあわせて一般に使われていたものとを並べてみました。私は子供の頃右側の楽譜で曲想をふくらませる奏法を叩き込まれましたが、どうしてもうまく表現できずに怒られてばかりいました。後年、原典に基づいた楽譜が日本でも入手できるようになり白線で示した部分が元はなかったということに安堵したものです。この事の原因はロマン派に至る19世紀の演奏スタイルの劇的変化によるものです  。                        日本には明治時代にバッハとベートーヴェンとチャイコフスキーと果てはドビュッシーまでもがいっぺんにヨーロッパから渡ってきたことによる、またそれを受け入れた日本の音楽界の普及を急ぐあまりの副産物と感じています。バッハの楽譜には音階の上昇に伴うクレッシェンドもなければ決然と(イタリア語でrisoluto実はこれは考え抜いて出した決心のような意味)こんな表現がバッハの楽譜に示されているわけがありませんね。といってもこのような現代に至るまでのガウディの教会建築のような演奏スタイルのモザイクは今になってみれば本当のところは聴く人にはそんなに関係なく演奏している人のもつオリジナルの表現への評価しか要らなくなっているのかもしれませんね。